青木正幸の独り言・・・Vol 19

2008年06月13日

 

 
2008/06/13
青木正幸の独り言・・・Vol 19
 
約三ヶ月ぶりの独り言ですが、スタッフには月に一度の独り言アップを義務づけている、ガレージエブリンのわがまま独裁者こと青木です。


過去自分の独り言を読み返せば、2005年、2006年はほとんどがサーフィンネタ。     実際のそのころは毎週のように全国各地にサーフィンにでかけていましたが、思うところがあり2006年秋から先月の20日まで一度も行くことはありませんでした。


決してサーフィンに対しての情熱が冷めたわけでもなく、それどころかパソコンや携帯電話での波情報チェックは毎日欠かしていませんし、今日は四国の中村までサーフトリップに行っているいつもの友人に海の写メールを送るよう催促したぐらいです。


それほど好きなサーフィンを休憩している理由は、相棒であった次男の語学留学と、同級生サーファーの死、それと仕事に対する影響といったところでしょうか。


特に2006年冬に帰らぬ人となった同級生は、私がサーフィン再開を強く誘い、お互いが若きあおの頃を思い出した矢先での出来事だけに非常にショックでしたし、
その彼の奥様は、私の家内の幼馴染で今も一番の親友だっただけになお更悲しく切ないものでした。


サーフィンのような自然と戯れるスポーツは、ある種の麻薬のようで、日常のストレスをすべて発散させ忘れさせてくれる強い効能がある反面、人間が本来持つ良い意味での欲が無くなってしまう副作用があります。


特に私のような、何事においても常に白か黒、ゼロか100、有るか無いか、要は一つの事しか熱中できない不器用な人間にとっては、まさに禁断の白い粉以上かもしれません。


四十数年、地元で暮らし、また幼少の頃から兄弟のように遊んだ友人たちと今も同じ趣味を楽しんでいる姿は、自分の息子から見てもかなり不思議らしくまた羨ましくもあるようです。


もちろんそんな仲間がいることは、自分にとって大きな自慢ですし、息子にも一生付き合えるそんな親友を見つけるよう常に言っています。


同級生との永遠の別れ、それはこの年齢になるとまったく他人事ではないと実感させられた2006年の秋。


とあるバーで仮に寿命があと一年なら何をする? と友人に質問され、泥酔ながら・・「一年間思いっきり働く!!」と即答した自分。


恥ずかしながら己の欲のためだけに起業し、ギラギラしながら突っ走った15年。
そんな自分ときっぱり別れを告げたのも2006年冬。


家族のため、スタッフとその家族のため、そしてエブリンを応援してくださっているお客様のためだけに汗を流すと心に誓い一年半。  誰も何も触れないがそんな不言実行を珍しく貫いている姿をスタッフだけは知っているはず。

今だから言えるが2006年創業以来最低業績から2007年最高業績へのV字回復がその証。   

普通に仕事が出来ることが何よりも幸せと教えてくれた、無き友人の散骨を仲間のサーファーと先月ようやく伊勢の海で済ませた今、久しぶりにキーボードをたたく気になったわけですが、2008年よりエナジーモータースポーツブランドを更に強化し、全国のBMWファンの皆様によろこんでいただける商品開発に励みたいと思います。


ちなみに本日の四国中村松原海岸は雨、波のサイズは腰、腹、セット胸の若干ジャンクだそうです(^_^;)



※左上の画像は30年前、冬の鳥取県浦富海岸です。

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