青木正幸の独り言・・・VOL 25  種子島にて。

2010年08月29日

 

 
2010/08/28
青木正幸の独り言・・・VOL 25  種子島にて。
 
全国のみなさま、ご無沙汰しています。


年始の挨拶以来、約半年振りの独り言です。


この数年、自宅と会社の往復のみで変化の無い日常を送っているため、ブログネタは無いに等しく、そのため独り言更新はスタッフ任せでしたが、
今回は数年振りのサーフィンネタです。


サーフィンに興味無い方にとっては、単に回顧癖のある親父の長文以外の何物でもないので、ぜひスルーしてくださいね(笑)。


私とサーフィンの出会いは今をさかのぼること33年。



高校二年の秋、学校をサボリ心斎橋を目的もなく歩いていると、前から見覚えのある顔が三つ。

全員が同じ幼稚園、小学校、中学校に通った幼なじみ。

三人が三人ともGジャンにインナーはネルのワークシャツ、リーバイスのコーデュロイブーツカットに足元はアースシューズ、
ヘアースタイルは潮焼け混じりのロペスカット
(マッシュルームカットですがサーファーはそう呼ばれることを嫌う)。



時は第一次サーフィンブームに突入する少し前、そのスタイルは最先端。
「久しぶりやんけ、俺らこの正月波乗りしにハワイに行くねんけど、お前も一緒に行けへんか?」


当時から即答派の私は迷うことなくその場で

「行く!!」



親不孝通り近くのプランタン(通称白プラ)で、旧知に花を咲かせたあと即効旅行会社に追加申し込み。


六泊八日、198000円、1ドル270円、旅費を稼ぐためのバイトも苦になる筈もなく、数ヶ月後にはレンタルサーフボードでワイキキの海に浮かび、
伊丹空港に降り立ったときには、初心者にはまったく不釣合いな、ハワイで購入したライトニングボルトのガン(大波用のシングルフィン)
を自慢げに小脇に抱えいっぱしのサーファー気取り。



今思えば、当時はスポーツとしてサーフィンに魅せられたというよりは、その独特のファッションやライフスタイルが新鮮で、暴走族とは対局にある、
新しい不良の姿にハマってしまったのかもしれません。



その後私の脳内は、波波波……


春夏は、イソコに御坊、那智、生見、尾崎、奈半利、秋冬は高浜、浜詰、白兎、浦富……ポンコツデリカはいつも定員オーバー。



カセットデッキから流れる音楽は、パブロクルース、シルバー、ジャクソンブラウン、イーグルス……



家庭の事情から大学進学を断念した高校三年生の私は、二度と戻らない日々を貪欲に謳歌したものでした。



就職が決まりサーファーの証の一つでもあった長髪にハサミを入れたのが翌春。
家業の力になるため、敢えて友人達とも距離を置いた京都でのケーキ職人修行は、
全寮制と言うこともあり想像以上に厳しく、サーファー気分から完全に脱皮出来ていない私には苦痛以外の何物でもない、
いつドロップアウトしてもおかしくない精神状態でした。

でもそれを救ったてくれたのは、やはりサーフィン。


修行先が京都ということで、秋冬はひとりで日本海
へ、春夏は今回種子島トリップに同行してくれた友人と伊勢へ・・・

再開したサーフィンは、それまでのファッション先行ではなく、スポーツとして、そして何より心を癒してくれる唯一の趣味となり、
小さな会社の経営者として気苦労が耐えない今も、その効果は褪せることないようです。



実はこのボイスの下書きをしている場所は、種子島のコテージ。

メンバーはサーフジャンキーの幼なじみと、私の次男。


透明度の高い海水に、青い空、有り余る波、混雑とは無縁のポイント、強い紫外線ながら乾いた空気・・・心地良い疲労感とつよい幸福感に包まれ、
四泊五日と長旅ながら気持ちよく送り出してくれたスタッフと、
十七歳の時から苦楽を共にしてきた家内に感謝しながらメールしています。











 

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