青木 淳の独り言

2018年08月06日

2018 Ferrari Challenge 4th Round at Fuji.

僕にとって人生で初めての「Race」。今年の4月に急遽国際C級ライセンスを取得。その際にフェラーリ担当の方に「フェラーリチャレンジ出てみませんか?」と。

規定レース車両である488チャレンジを所有していない事から出来ないと思っていたが、「貸し出し希望の方がいます」と案内を頂きました。色々と悩んだ結果、人生1度きり、と思い参戦を決断。レースまで残りたったの2ヶ月。この短い期間にどこまでのレベルに到達出来るのか?

果たして参戦しても大丈夫なのか?

持病のせいで問題無いのか?

レンタル車両の為、むやみに傷を付けれない。様々な不安が脳裏をよぎりました。実践練習はたったの2日。残りは購入したシュミレーターで練習の日々。大会本戦では各レーサーのスキルや経験年数により3つのクラスに分けられ、当然初心者の為、1番下のクラスで勝負挑む。はずでしたが…。大会本戦前日の練習の際に全クラス含め43台中の4番目に位置するタイムを記録。その際に様々なドライバーからの疑念(経験者では無いのか?ドーピングしてる?)を向けられ、また大会本部からもあまりのタイムの為、余儀無く

1番下のクラスから、1番上のクラスへクラスアップする事に。この二回級アップは異例中の異例だったようです。どうしても表彰台に立ちたい「大きな理由」があった為、自分の表彰台への想いは打ち砕かれた。と、思った程でした。こうなったら順位なんて関係無く思いっきり攻めてやる、二回級アップしたということは下のクラスでは優勝を認めらたようなものだ。そう奮起立てて気持ちを入れ替えレース本戦に挑むことに。初戦はクラス内 12台中7位。決して満足出来ない内容でした。最終戦では、「死ぬ気で突っ込んでやる」と、自分に言い聞かせる。

 

最終戦予選。車両内モニターでは1"43"87の数字を記録し

あまりの喜びにガッツポーズ。グリッドも総合で4位までいけたハズ。興奮の最中ピットに戻ると、ピットワークの連携が取れずまさかのペナルティー。幻のタイムとなり、またペナルティーの理由のせいでグリッド降格となり総合で12位、クラス内7位の位置からグリッドスタート。

 

 

予選では、タイヤの磨耗を避けたいがために

周回はあまり稼がないようにしていた為、他の車両よりは

タイヤはまだまだ生きている為、有利だと自信を持って

最終戦へ。

 

そして最終戦。

最初の二周目にホームストレートにて

前方に三台の車が横並びになって接戦。

その後方から追いかけていた為、三台のスリップストリームを巧みに扱い、1台分空いていた1番右端のコース上から

一気に三台抜き。これは、レース中最も興奮した場面でした。

ただ、空気抵抗の恩恵を受け過ぎた為、通常よりも出せないスピード域に到達し、ほんのすこしのオーバースピードで

ファーストコーナーにてスピン。せっかく三台を抜いたにも関わらず、また振り出しに。スピンしてもすぐさま態勢を戻し抜き戻してきた三台を追い抜く事に。

 

そこから周回を重ねる事に着実に

1台ずつ、オーバーテイクしていき

気づけば5台抜き、その時点でクラス内

4位まで順位を追い上げる。

 

よし!このままいけば全然イケる。

そう思った最中でした…。

いつも通り100Rを抜け、次のコーナーでインした瞬間に

オーバーステア…。そう大きなスピンが発生しました。

タイヤの垂れに全く意識がいっていないのが

最大の原因でした。カウンターステアを当て

態勢を戻す最中に後方車両がこちらに衝突。

ドライバーズ側のドアに大きな衝撃が走ったが

態勢を大きく崩さなかった為、そのまま

走行を引き続きアクセルオン。

 

衝突した際に

セーフティシステムが働き

全ての電子制御がオフに。

それでも恐怖を抱く事なく

ただ、ただ前に。

 

そしてそのまま猛スピードで

順位を守る為に走っていたのですが、

真っ直ぐ走っていたにも関わらず

先ほどの衝突で足廻りが完全に逝かれて……

 

大クラッシュ

 

を発生。

 

200km近い速度のまま

ノーブレーキでガードレールに衝突してしまいました。

当たる前の瞬間は

 

「このまま死ぬ」

 

 

「大きな怪我をするだろう」

 

そう思いながら

目の前のガードレールを

マジマジと、まるでスローモーションかのように

見つめていました。

 

 

大きな衝撃の後

気が付くと

前方から沢山の煙と

コースに対して逆向きに停車していた為、

前方から多数のレース車両がものすごい勢いで

こちらに向かってきていました。

 

そしてフロントは無残にも

全く跡形も無く消えていました。

 

身体は無意識に動き

すぐさまセーフティカーが駆けつけてくれ

後は、呆然もしながらセーフティカーにピットへ向け

運ばれました。

 

「生きてて良かった」

 

と、思う所でしたが

頭の中にふと思い浮かんだ言葉は

 

「レース。楽しかったなぁ」

 

でした。

死と隣り合わせのスポーツにも関わらず

そう思えたのも、常に死と隣り合わせの日常生活を共にしている為、僕にとっては何も恐怖とは思わず、ただ目の前のレースを堪能し、ただ楽しんでいる自分がいたのです。

 

 

最初で最期のレース

 

僕にとっては

かけがえのない人生の一部になりました。

 

今回、レースに参戦を決意した理由は

「2つ」ありました。

 

1.「生まれ変わったらレーサーになりたい」

 

:元々レースに関するテレビやメディアを見る事は無いにも関わらず、日常をすごしている中で「生まれ変わったら絶対レーサーになる」と、心に秘めていました。何故?と聞かれても

直感と理由は無いが強い願望がありました。

 

 

2.「自分と同じ病の人達へ勇気と夢を与えたい」

 

:幼い頃から10万人に1と、数少ない難病と共に歩んできました。死と直面する事も多々あり、今でも毎日が死にもの狂いです。その中で、同じ病の人達に対して、どれだけ苦しい思いがあったとしても決して人生を諦めて欲しく無い。そう常々強く思っています。何故なら、私も何度も諦めかけた立場に立った事があったからです。ただ、どん底から這い上がったからこそ

苦しさも理解出来る、そして諦めなかったらからこそ

今がある。その大切さを伝えたい。同じ環境下でも、僕のような若者でも、絶対に諦めなければ、生きてて良かった。と、思える日が来る。そう伝える為にも、「行動」に出てそして

「結果」を生むしか無いのです。少しでも同じ人達に勇気と夢を、僕がしたことに対して抱ける「きっかけ」になれたら

それだけで嬉しい、と。だからこそ、表彰台に立ちたかった。

 

僕の人生最期の目標は

 

「同じ病の人達に経済的と精神的に助けてあげる」

 

事が、最期の目標であり最大の目標でもあるのです。

 

 

上記、2つが

「レース参戦を決意したきっかけ」、です。

 

 

そして最後に

僕を応援して頂いた関係者様の皆様に

感謝のお礼を述べたいと思います。

 

ご声援

ご支援

本当にありがとうございました。

 

 

レースでの

「主人公」

「レーサー」

よく言いますが、

 

レースでの「主人公」は

1人の為に全てを捧げる

 

「皆んなの想い」

 

だと、肌に触れて

強く思いました。

 

人生において

このような経験が出来

本当に幸せ者です。

 

さて

次なる目標を叶えに

これからも前へ進んで参ります!!!!

 

 

By 青木 淳

 

 

 

 

 

 

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