青木 正幸の独り言・・・BORDEAUX1901の由来

2022年08月15日

 

いつもHPをごらんいただきありがとうございます。

 

代表の青木 正幸です。

 

先日、公開させていただいた 「 BORDEAUX 1901 」

 

予想を上回る反響に我々も驚いています。

 

 

 

 【BORDEAUX1901 オフィシャル・インスタグラムアカウント】はこちら

 

 

 

 

生まれ変わっても絶対飲食事業はしない・・・ 私は常にそう公言してきました。

 

 

その理由は利益が上がらないという単純なものではありません。

 

 

飲食業の悲哀を知りすぎているからです。

 

 

 

本日は ブランド名 「BORDEAUX 1901」 の由来と軌跡を古い写真とともに

 

簡単にご説明させていただきます。

 

 

 

私は飲食業の三代目として大阪市住吉区で生まれました。

 

 

豆新食品工業株式会社、 創業者は私の祖父、青木 新一朗。

 

戦前、戦後の混乱期を妻であるミネさんと共に、想像を絶する苦労の末に食品加工会社を立ち上げた

 

明治の男。

 

私が18歳の時に78歳で鬼籍にはいりましたが、その記憶はいまだ鮮明。

 

祖父のエピソードは古い社員さんや地元の皆さんからたくさん聞きました。

 

そのどれもが新一朗さまには「本当に世話になりました・・」「私の恩人です・・」

 

「助けられました・・・」  など愛にあふれる思い出話ばかり。

 

なかには新一朗様の破天荒な生き様を、孫の私にユーモア交え詳しく教えてくれた方もいました。

 

資産は残さなかった新一朗様、莫大な借金を残した新一朗様、娘や孫の人生にまで大きな影響を

 

与えた新一朗様。

 

 

すいません、私は祖父のことを心底尊敬しているので語ると長くなります。

 

なのでまたの機会に。

 

 

豆新食品工業株式会社の事業内容

 

・ 大阪市住吉区、住之江区の学校給食のパン製造

 

・ 浪速区木津市場でパンの卸し

 

・住之江区南港でコンビニエンスストア経営

 

・ 住之江区粉浜商店街でパンとケーキの製造販売

 

・阿倍野区、西田辺交差点でパンの製造販売

 

・ 南海電鉄阪堺線・住吉交差点前で食堂ビル経営

 

 

 

 

 

この写真は初代の住吉交差店。

 

木造の平屋ですが、 戦後の高度成長期もあって連日の大盛況。

 

飲食業が元気だった時代です。

 

 

敷地150坪の洋食、喫茶店、当時としてはかなりの大型店舗。

 

 

明治の男、新一朗さんの珍しい笑顔。

 

新築の店舗に建て替える前、木造店舗時代の最後の写真でしょう。

 

 

 

 

 

 

新築された豆新ビル、 鉄筋4階建て、エレベーター完備、一階は洋食と喫茶、二階は中華料理、

 

三階は大きな宴会場が二間、 屋上はビアガーデン。

 

 

このとき祖父は67歳、 これを機に社長職を退いて会長職に。

 

延べ床面積600坪のビル・・・  今の貨幣価値なら建築費、土地代をあわせて7〜8億円??

 

 

 

しかも当時はかなりの高金利。   

 

時代背景を考察すると、年利7〜10%だったと思います。  もちろん有担保で。

 

 

大勝負に出た新一朗様、いま振り返るとこの投資が裏目に出たんでしょう。

 

 

新一朗・・・ 「 よっしゃ、あとは智子に任したで・・」

 

 

当時39歳の母、希望に満ちた笑顔。

 

 

しかしこのあと母の人生は苦労の連続でした。

 

 

二代目としてのプレッシャー、時代の流れにもがく日々。

 

 

今の自分ならすべて守れたのに、すべて解決できたのに、、、この笑顔の母を見るたびそう思う。

 

 

もっと話を聞いてあげればよかった、もっと甘えてあげればよかった、本当に後悔している。

 

親不孝はしなかったけど親孝行もしなかった、それを私は強く悔やんでいます。

 

 

 

 

 

 

この頃が青木家の最盛期だった気がします。

 

 

父は二年ごとに新車を乗り換え、 親戚旅行もどんどん派手に。

 

 

セスナ機で和歌山県の白浜を遊覧飛行。

 

 

皮肉にもこのあと数年で家業は低空飛行に。

 

 

 

 

 

食堂ビル 「豆新」 はもう古い、 サービスの質も低い、 パンもケーキも洋食も中華も

 

時代遅れ・・・ 美味しくない。

 

13歳の春には子供ながら家業の売り上げ低迷には気づいていました。

 

 

最盛期には115名在籍した社員さんも半数以下に。

 

 

16歳の春・・ 家族会議。

 

 

商売人の家族会議の議題は 「 売り上げ 」についてのみ。

 

 

家業が崩壊すれば家族全員の人生も終了。

 

 

父と母

 

 

「 交差点のビルは老朽化している、リフォームの時期がきた、それと世間ではオーブンフレッシュベーカーリー

が流行ってるから店もその形態にしよう・・・  これで売り上げは良くなるはず・・」

 

 

いつも意見の分かれる父と母が珍しく同意見。

 

 

リフォームの予算は2500万円。  すべて銀行融資。

 

 

設計デザインに16歳で参加。 タイル一枚、クロスの柄、照明や調度品まで自分の意見を言った記憶がある。

 

これは本当に勉強になり店舗デザインは楽しいと感じました。

 

 

 

大規模リフォームに伴い、 ブランド名も「豆新」 から 「BORDEAUX ボルドー豆新」に。

 

 

 

 

BORDEAUXはフランスの地方都市の名称。

 

 

67歳で日本パン協会の会長として、総勢50名でヨーロッパに視察旅行に行った祖父、新一朗様が

 

 

一番印象深かったのがフランスのボルドー地区。

 

それを新しいブランドにした。

 

 

当時のロゴは姉と兄と私で考えた。

 

 

17歳の冬、ボルドーのアルバイトの面接にきた16歳の少女に一目ぼれをした。

 

それが今の妻。

 

ボルドーのおかげで妻と出会い、長男と次男を授かった。

 

 

だから今がある。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

屋上ビアガーデンには鳥居と祠(ホコラ)があったりして・・

 

 

 

 

 

店は綺麗になった。  それなりに家族自慢の店舗になった。

 

 

でも売り上げが良かったのは最初だけ。

 

住吉大社のお祭りがある日だけ。

 

 

17歳の夏、大学進学をあきらめた。

 

 

 子供ながら私にはわかっていた。  かなり経済状況が悪化していることを。

 

店は綺麗になったけど、パンもケーキも喫茶も中華も職人は同じ。

 

ほんの少しメニューが変わっただけ。

 

 

父も母も職人には気を使っていた。  祖父新一朗様の時代に入社した古参社員にはとくに。

 

 

 

 

レベルの低い商品しか作れない職人、それに気を遣う経営陣。

 

それが嫌だった。

 

 

それなら私が大学に行かず職人になる。   有名ケーキ屋に修行に行くと決めた。

 

 

自分が職人になって本当に美味しいと思えるケーキを作り、何が何でも豆新を復活させると決意した。

 

 

金は会社からもらうものではない、自分で稼ぐもの。

 

 

時間を切り売りした対価なんてたかがしれている。

 

 

早朝から深夜まで総出で働く家族を幼少期から見ていたので自然とそんな考えになっていた。

 

 

祖父にいたっては・・「 稼ぐ能力のない男はもはや男ではない・・」

 

 

柔和な顔で結構極端な発言もしていた。

 

 

いまとなってはそんな家庭環境だったことに感謝している。

 

 

 

この写真は17歳の冬、就職の一か月前。

 

 

ガッツサーファーの証だった長髪をバッサリ切って終始不機嫌だった家族両行(-_-;)

 

 

 

 

 

 

人生で一番働いた京都でのケーキ屋修行を終え、実家に戻ったのが21歳。

 

 

たかが3年修行しただけでは豆新ボルドーを立て直すには無理があった。

 

下町の商店街で高級洋菓子は受け入れられなかった。

 

しかも店舗はかなり老朽化していた。

 

たった3坪の粉浜商店街の店舗。   豆新に残されたのはここだけ。

 

あとはすべて閉鎖した。

 

下町でケーキは売れない・・・ じゃあ豆新の原点に戻りパン屋として復活しよう。

 

 

でもパン職人は全員解雇したあとだったので、パンの製造は独学だった。

 

ネットもない時代、パンの専門書だけではなく、ママさんクッキング的な本まで参考にした。

 

誰にも教えてもらいたくなかった。   自分の可能性を信じていたから。

 

 

私・・・「 店舗があまりにも老朽化しているからリフォームさせて欲しい・・ すべて僕に任せて欲しい」

 

 

しぶしぶながら500万円の予算をくれた母。

 

 

当時としては斬新な店舗デザイン、黒とゴールド、そしてピンクのネオン管サイン。

 

妻と二人でデザインした小さなボルドー粉浜店。

 

 

妻が看板娘として活躍し、ケーキの要素を多用した菓子パンは見事に当たり、

 

リフォーム前と比べ売り上げは20倍になった。

 

 

朝日放送の 「 わいわいサタデー 」商店街美人夫婦コンテストに母が私と妻の写真を同封して勝手に応募したのもこの頃。

 

 

 

なぜか予選を通過して本選で優勝(-_-;)

 

 

TV出演した翌日はいつも以上に忙しかったことを鮮明に覚えている。

 

 

ちなみにこの頃の愛車はTVRタスミン・コンパーチブル。

 

 

 

 

 

 

三年後、 同じ商店街の店舗が空いたので移転。

 

 

時はバブルの少し前1988年

 

50坪の二階建て、  保証金はなんと5000万円・家賃は50万円

 

 

最高売り上げは一日、110万円だった。

 

 

 

 

 

 

月に何度も徹夜でパンを焼き続けた。

 

それなりに結果も出した。  粉浜商店街にボルドーあり。

 

豆新を復活させた自負はあった。

 

 

でも母の笑顔は少なかった。   いくら売ってもあまり褒めてもらえなかった。

 

 

今思うと、負の遺産が多すぎたからだと思う。

 

パン屋が流行ったくらいでは追いつかない返済額だったんだろう。

 

 

ボルドーを繁盛させたら家族全員が笑顔になる、そして自分の生活も豊かになると思い長年頑張ったけど結果は違った。

 

 

 

1989年頃から私はパン屋をしながら、外車ブローカーを副業とした。

 

 

副業2〜3年で本業の年収の20倍以上を稼ぐようになり、幼稚園にパンを配達するのにベントレータボRL

 

を使っていた。

 

 

当然本業の収入はなくても十分生活は出来る。  

 

 

外車ブローカーはとっくに卒業して大阪市内で実店舗も構え、同業者さんとの派手な付き合いもこなしていた。

 

 

でもパン屋は止めなかった。

 

 

週に数度は同業者さんと夜のお付き合い。

 

 

それでも早朝からパンを焼いた。

 

 

 

お金じゃない、 ボルドーが好きやったから。  豆新に誇りを持っていたから。

 

 

でも33歳の時、兄から言われた。

 

 

 

「 マー坊、 もうええで・・・」

 

 

兄にそんな決定権は無い、裏でそう言わせたのは母であることは知っていた。

 

 

「 わかった、 辞めるわ 」

 

 

 

その後、わずか2年であれだけ繁盛していたボルドー粉浜商店街店は閉鎖した。

 

 

 

生前、母はよく言っていた

 

 

「 マー坊、車屋になって本当に良かったね、ママはあんたの成功が本当に自慢やねん、でもなあのままマー坊が

パン屋を続けていたら、あんたのことやからそれなりに成功していたと思うよ・・あんたは新一朗さんの濃い血を引き継いでるしね・・」

 

 

 

 

そう言われるたび心が痛んだ。    私が車屋になったからボルドーが潰れた。

 

 

ずっと心に引っかかっていた。

 

 

 

今年の一月、 本社の反対車線の敷地を契約したとき、カフェを併設することは即決したけど、

 

ブランド名は迷っていた。

 

 

カーズカフェ・エブリン   Csfe ENERGY など自分のなかで候補はあったけど、どうもしっくりとこなかった。

 

車屋が片手間でやっているカフェはやりたくない、やるのなら本格的にしたかった。

 

 

元かもしれないけど飲食のプロとしてのプライドもあるし。

 

 

そんなときに青木 雄に屋号で相談したところ提案してくれたのが

 

 

 

「 BORDEAUX 1901 」

 

 

 

雄・・・ 「 エブリンやエナジーは今回は止めとこ、 それやったらボルドーを復活させるべきやと思うわ!!」

 

 

そう言ってくれたこと、むちゃくちゃ嬉しかった。

 

 

先祖に対する思慕と亡き母に対する私の深い懺悔をすべて知っている長男ならではの提案に目頭が熱くなった。

 

 

きっと次男に相談しても同じブランド名を提案してくれたと思う。

 

 

 

私・・・「 えっ?? 良いの?? 嬉しいわ!!  じゃあBORDEAUXのあとに1901をつけよう 」

 

 

1901 は豆新食品工業株式会社の創業者、青木新一朗様の生まれた西暦。

 

 

 

 

 BORDEAUX1901は、営利目的ではありません。

 

 

 

 

我々のルーツを復活させただけ。

 

 

 

もしくは、あの時出来なかった親孝行の真似事をしているだけかもしれません。

 

 

 

 

BORDEAUX 1901   居心地の良い空間だと皆様に感じていただければ本望です。

 

 

 

 

長文になってしまいました、すいません。

 

 

 

ガレージエブリン 代表 青木 正幸

 

 

 

 

 

※ 過去ブログも参考にどうぞ

 

新規事業参入!!!!??? 今年最大のニュース!!??

 

 

http://www.everyn.com/blog.php?aidx=231439

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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