ガレージエブリン

8月20日 庄野 佳孝の独り言

2025年08月20日

いつもガレージエブリンのホームページをご覧の皆様こんばんは!

 

大阪店 セールスマネージャー 庄野 佳孝と申します。

 

まず最初に今月8月2日に開催されたボクシング興行で2名の選手が試合後に意識不明に陥って、

 

後日その2人共が命を失う悲劇が起こりました。  

 

2名の勇敢なBOXERのご冥福をお祈り申し上げます。

 

 

今回は3回目の独り言で、連載企画 BOXERのご紹介は1回お休みを頂戴して

 

僕自身、現在進行形の出来事を紳士的な文面でお伝えしたいと思います。

 

早速ですが皆様、尿管結石という病気はご存じでしょうか。

 

男性に起こりうる痛みを伴う病気で一番痛い部類の病気と言われております。

 

私は実は今回で大きな痛みを伴う尿管結石は5回目で、まさに現在進行形で痛みと格闘してる真っ最中です。

 

5回も発症しているのでおそらく普通の人よりは尿管結石には慣れている思います。

 

1回目は私が26歳の年末12月27日の夜中3時頃に発症致しました。

 

その前々日ぐらいから尿意がすごいのに一滴も尿が出ないので発症の前日26日に近所の泌尿器科に行きました。

 

その病院で診察を受けて前立腺炎症と診断されました。

 

利尿剤やら前立腺に直接薬を塗られて、点滴で炎症剤を打ってもらいました。

 

しばらくすると墨汁のような真っ黒の尿が出て「これで治った」と、とりあえず尿が出た事で不安が解消されました。

 

その当日の夜中3時ごろベッドで寝ていると、いきなり背中から腰にかけてバットで殴られたような激痛が走り、

 

その少し後に下腹部に男性しかわからないであろう部位が強烈な痛みに襲われました。

 

僕はボクシングをしていたので通常の方よりは痛みに強いと思いますが、その僕が生きてきた中で体感した事がない

 

表現できない強烈な痛みで、何が起きているのか理解できずパニックになりました。

 

その当時爆笑問題の田中が男性の大事なボールの片方を切除するというニュースが流れていた時でしたので

 

僕もまさか同じ病気かもとすごい不安になりながら痛すぎて立ち上がる事も出来ず、助けてと声を振り絞りながら

 

両親の寝ている部屋まで這いつくばって、救急車を呼んでもらい父親と一緒に乗り込みました。

 

その当時奈良県では救急病院の救急車受け入れ拒否が全国的にニュースになっており、僕が乗り込んだ救急車も

 

案の定、受け入れ病院が無く救急車内で約2時間痛みと戦いながら待機していたら奈良医大が5時ごろに受け入れOKと

 

いう事でやっと搬送されました。救急車からストレッチャーで降ろされてERに運ばれている途中で急に痛みがストンと

 

なくなり、「あれ、痛くなくなった」と呟いたら、入り口の警備員さんが「たぶん石やなっ」と言ってたと

 

同伴していた父親が聞いたと後で聞きました。

 

治療室に入ると朝方なのに女性の看護師さんが10人以上待機していて、僕は下腹部が痛いといって運ばれたので

 

ズボンなど全て脱がされて、たくさんの看護師さんの前で先生に「どこも腫れてないし問題無さそうやけどな」と

 

触診されながら言われましたが、その当時の若い僕は大変恥ずかしく大問題でした(笑)

 

とりあえずレントゲン室に行ってと言われてストレッチャーから起き上がろうとしたら

 

あまりに痛かったのか筋肉が弛緩したようでギックリ腰になっていて起き上がれない状態と

 

酸素欠乏症(チアノーゼ)で手首、足首ぐらいまで真っ黒になっていて呼吸もあまり出来ていなかったみたいでした。

 

看護師さんに車椅子でレントゲン室に連れていってもらい、造影剤を打ってから撮影したら尿管から腎臓から

 

たくさんの石が映っていて、診断してくれた先生が「朝一に泌尿器科を紹介するのでとりあえず朝まで休んで下さい」

 

との事でベッドで寝ていました。奈良医大から紹介された病院に搬送されたら、その病院は昨日診察してもらった

 

泌尿器科院で、その先生に「そっち(石)やったか」と笑って再診断されました。

 

石の成分を調べる為に尿を茶こしで石を採取してくださいとの事でしたので

 

1週間採取するとまあまあの大きさの石器時代のナイフのような鋭利な黒い石がたくさん取れ、

 

こんな石ならそら尿管切り裂きながら出てくるから血尿出るのは納得というぐらい鋭利な石でした。

 

(こんな感じのもう少し薄い石 ↓)

 

 

 

 

石の検査の結果は遺伝性な石で、特に食生活で予防は出来ないのでたくさんの水を飲んで日頃から

 

尿で出す習慣を意識してと言われました。

 

とりあえず僕の一回目の尿管結石の思い出はこんな感じで、その後も38歳の12月の年末、

 

46歳の時も12月の年末、51歳の時も12月の年末といつも病院が閉まりかけギリギリを狙ったように

 

発症して、年末になると僕の中では尿管結石といった恐怖が蘇る時期でした。

 

ですが今回52歳で初めて年末に発症ではなくお盆休み前というまたまた病院が閉まるギリギリ12日の夜中4時頃

 

に発症して病院が閉まる前に痛み止めを処方してもらう事ができました。

 

今も痛みが持続していまして、今回は右の背中から腰のあたりの鈍痛が続いており

 

痛み止めが無いと不安な日々を過ごしております。

 

痛み止めが切れると鈍痛が始まり、痛くない時も常に尿意と便意に襲われて、

 

トイレに行っても頑張っても出ないという負のスパイラル。

 

寝ている時に痛み止めが切れて痛さで何度も目が覚め、精神も体力も削られております。

 

手術をするならレーザー手術であれば約1週間入院、破砕手術でも最低1泊2日入院と、

 

簡単な治療は無いので出来れば自然に石が出てくれたらラッキーといった状況です。

 

ですが尿管結石を経験し、人間の神秘という物の素晴らしさも実感しております。

 

それは痛さ耐性です。

 

初めての尿管結石の時は何が起きたか理解出来ず、痛すぎて救急車で搬送されましたが、

 

2回目からは強烈な痛みでも一度体感した事あるので自分で尿管結石やと判断できるので、病院が開く時間まで

 

耐えて、自分の運転で病院に行って診察を受けるといった余裕まで出来ました。

 

これぞ経験値!!

 

このように人間は経験をする事でどんどん成長出来るといった事を皆様にお伝えしたかったので

 

今回、自分の身を切る話ですがこのような場でお伝えさせていただきました(笑)

 

皆様も一度尿管結石をご体感してみて下さい!!

 

長文お付き合い頂きありがとうございます。

 

次回3回目は連載企画に戻り、庄野が過去のBOXERで天才と感じた選手をご紹介いたします。

 

熱狂的なボクシングファンの方、どうぞ楽しみにしていて下さい!

 

 

 

by 大阪店 庄野

 


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