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先日久しぶりに実家に帰ったところ、年老いた母から20年前の関西ウォーカーを渡されました。
高校卒業後、経営状態の思わしくない家業の力になるため、京都のバイカルという老舗ケーキ屋さんで修業して戻ったのが21歳。
月商わずか60万円という大赤字のパン屋を月商1000万円にして、各メディアに取り上げられるほどになったものの、趣味が高じて副業としていた輸入車販売が思いのほか好調。
この雑誌に掲載されたころは、早朝から昼まではパン屋、午後からは輸入車販売。 二足のわらじをはいてすでに5年ほど経過していました。
この翌年でしょうか、意を決して両親に家業との決別を宣言したのは。
「あのときは実家を捨てたあんたを恨んだ、でもいまはあんたの成功がうちの自慢やねん・・・」この雑誌を手渡しながらつぶやいた母。
「でもあんたはあのままパン屋を継続していたらもっと成功していたと思うよ・・・」
親心でしょうか。
京都でのつらい修業時代、独自の世界観で作ったパンが評価された体験があるからこそ今があるのでは。
この雑誌は私にとって想い出深い一冊です。 |
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